目の見えない主人公たち『座頭市物語』、『光にふれる』
映画ブログ第6回、担当はケンです!
今回取り上げる映画は『光にふれる』と『座頭市物語』の2作品です!(今回はネタバレといえない程度で抑えてます。)
”座頭市”といえば、若い人はおそらく北野武監督作品の『座頭市』(2003年)を思い出す人が多いでしょう。(香取慎吾が主演した『座頭市 THE LAST』(2010年)や綾瀬はるかが主演した『ICHI』(2008年)もありますが)
この『座頭市』はタップダンスなどのミュージカル要素を取り込んだ意欲作ですが、今回取り上げるのはこのリメイクのオリジナルとなった
勝新太郎主演、座頭市シリーズの第一作目『座頭市物語』(1962年)です!
もう一本は先ほどの『座頭市物語』から50年後の2012年に製作された『光にふれる』(2012年)という台湾映画です!
この2作品は作られた年代、国、作品のジャンルも違いますが1つだけ共通点があります。
それはどちらの作品も主人公が生まれつき盲目であるということです。
『座頭市物語』の主人公、座頭の市は盲目ながら、悪者を切り伏せるヤクザ。
『光にふれる』の主人公、ホワン・ユィシアンは盲目ですがピアニストを目指し大学の音楽科に入学する学生です。
この2作品を見ているうちに
「目が見えない」
ってどういうことだろう?
と考えるようになりました。
例えば
目の見えない人は
・日常生活で、何が出来るのか、または何に困っているのか
・視覚が使えないゆえに他の感覚が秀でているのか
・寝ている時に夢を見るのか
などなど、少し考えるだけでもいろいろな疑問がでてきます。
今回は
・「目が見えない」とは、どういうことなのか
・『座頭市物語』、『光にふれる』では「目が見えない」ということをどのように描いているのか
この二点について書いていきたいと思います!
「目が見えない」とは?
盲目という言葉をgoo辞書でひいてみると
1 目の見えないこと
2 他のものが目に入らず、理性的な判断ができないこと。また、そのさま。「恋は_」
と書いてあります。
1番目の意味はそのまんまですね。
科学的にはどうでしょうか。
まず、目が見えるというのは
眼球を通して入ってくる光を、脳で扱える視覚情報に変換し、外の世界を光で感じることができる
ということです。
目が見えないということは
そのような処理ができないこと
つまり、
外の世界を光で感じることができない
ということです。
通常、人間は外の世界を感じるのに90%以上視覚に頼っていると言われています。
このように視覚に依存している目の見える人間にとって、目の見えない人の感覚を理解することは難しいように思えます。
生まれながらにして盲目の人の世界はどうなっているのでしょうか?
カールトン大(カナダ)の認知科学の准教授であるジム・デイビスは目の見えない人の世界ついて以下のように述べています。
To try to understand what it might be like to be blind, think about how it “looks” behind your head.
目の見えない人の世界を理解したいのであれば、自分の背後を”見る”ことを考えればいい
What Do Blind People Actually See? - Facts So Romantic - Nautilus
自分の背後には確かに目の前に見えている世界と同じ世界があるはずですが、
見ることはできないですね。
言い得て妙な気がしますが、
少し難しい笑
もう少しわかりやすいものはないかと探してみると、盲目の女の子がどのように世界を感じているのかを描いた短編アニメーション『Out of Sight(敲敲)』を見つけました。
国立台湾芸術大学の生徒が卒業制作で作成した作品のようです。
盲目の女の子が見ている世界は決して真っ暗な世界ではないんですね!
これを見るとすごくイメージが掴みやすいです。
このように「目が見えない」ということや、「目の見えない人の世界」についてイメージを掴めてきたところで、そろそろ映画の話題に戻りたいと思います!
座頭市には何が見えている?
『座頭市物語』は全国に指名手配されている盲目の侠客(ヤクザ)である市(いち)が諸国を旅しながら脅威的な抜刀術で悪人と対峙するアクション時代劇です。
作中の時代ははっきりと示されていませんが、座頭市の”座頭”とは室町時代~江戸時代に用いられた盲人の最下位の身分であるらしいので、少なくとも150年以上前の話です。
市は元々”座頭”という身分の専門職であるあん摩(マッサージ)を生業として生きてきました。彼はそういった身分から抜け出し、自分を侮り、蔑んできた「目の見える人間」の鼻を明かすために居合いを極め、ヤクザになったのです。
〈映画〉 座頭市物語 〈予告編〉 Zatoichi - YouTube
『座頭市物語』では、市はある村を訪れます。その村の悪人たちは市が目の見えないことをいいことに、騙してお金を奪おうとしたり、彼の圧倒的な強さを見込んで自分たちの用心棒にしようとしたりします。
しかし、目は見えないものの座頭市は常に相手の思惑を掴み、冷静に物事を見ています。ただ彼は正義のヒーローというわけではなく、あくまでヤクザです。基本的に自分に関係のないことには関わりませんが、座頭市はどういうことを大切にし、何を動機として動くのかが後半に描かれます。
彼は何を求めて諸国を旅しているのでしょうか。座頭市にはどこにいても人間の狡猾さや愚かさのようなものが見えてしまうのかもしれません。
見えていないのはユィシアンだけ?
『光にふれる』は主人公のユィシアンが田舎から出て、台湾の台北にある大学の音楽科でピアノを学ぶために、はじめて一人暮らしをするところから始まります。ユィシアンにとって初めての都会、ユィシアンは道路の真ん中で身動きがとれないところをドリンク店で働いている同世代の女の子シャオジエに助けられます。
そんな彼にはピアニストという夢がありますが、小さいころに優勝したピアノコンクールで「目が見えないから優勝したんだ」という心無い声を受け、彼の夢につながるはずのコンクールに出場することができません。
また彼を助けたシャオジエは、ダンサーになるという夢がありますが、経済的な理由からアルバイトで家計を助けなければならず、大学にもいけません。
彼らは互いに夢を”見る”ということに億劫になり、諦めてしまっています。
彼らは自分の夢から目を背けずに、夢を追いかけることができるのでしょうか?
この映画ではユィシアンの世界の感じ方が緻密に描写されています。
どういう女性が好みなのか(好みの女性の判断基準はなにか)
信号の青をどうやって判断するのか
ダンスなど音だけでは分からないものをどのようにして感じるのか
ユィシアンの世界にふれると、普段感じている世界が新鮮に感じられます。
二つの作品から見えること
最初にgoo辞書引いた「盲目」という言葉に戻ってみると、もう一つ意味があったことを思い出します。
1 目の見えないこと
2 他のものが目に入らず、理性的な判断ができないこと。また、そのさま。「恋は_」
どちらの映画も物事の本質や自分の本当の気持ちを見失っている人が登場し、二番目の意味について語っているように思えます。
座頭市もユィシアンも物事の本質や自分の本心を見ようと抗っています。そしてシャオジエのように”目のみえる”人も彼らと同じだと思いました。
余談
今回は『座頭市物語』、『光にふれる』の2作の映画を取り上げ、「目が見えない」ということについて書いてみましたがどうだったでしょうか?
自分もブログを書くときについつい余計な情報を入れたくなって、本筋が見えなくなってしまいます。
話の筋を通して、さらに作品の魅力を伝えることは難しいものですね。笑
長々と書き連ねていますが、書き始めてからどうしても気になることがあります。
目が見えない人はどうやって映画を楽しむのか?
視覚障害がある高田鶏次郎さんは映画を見ることについて、このように言及しています。
映画を見ていて、映像だけで表現されている部分が多いので、その場合はストーリーから判断して勝手に想像するか、無視するかあきらめるしかありません。
「映画監督を目指す青年からの手紙」−−”目が見えないこと”と”映像”の関係は?
映画はラジオドラマのように音だけで物語を伝えるものではないので、目の見えない人にとっては楽しめるものではないのかもしれません。
ただ、映画を作る側はこのようなことに無頓着というわけではないようです。
『光にふれる』のDVDにはバリアフリーモードなるものがあって、音声解説がついていました。
自分は一度見終わったあとに、目を閉じて音声解説ありの映画を鑑賞してみたのですが、音声による場面の説明が入っている程度で、役者の声(字幕が見れないので吹き替え)や音楽、環境音で想像してみるということにあまり変わりはないように感じました。
しかし、2013年に愛知県の映画館「コロナワールド」に4D映画というものが導入されました!
椅子がシーンに合わせて動いたり、風、水(ミスト)、香り、煙など、五感で映画を体験できる新しい映画館のようです!
複雑な展開をする映画だとさすがに視覚的な補助がないと映画を楽しむことは難しいかもしれませんが、単純な映画であれば4D映画でより多くの人が楽しめるのではないかなと思いました!
あとはこのブログの第三回でトムが紹介していたように
2015年に見たい!SF映画2選!(『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、『トランセンデンス』)- 映画ブログ第三回 - KSC CINEMA
未来で、脳に映画を直接ダウンロードして楽しむことができれば、目の見えない人も同じように映画を楽しめる時代が来るのではないでしょうか!
それではこのへんで!
ケン(@90matsu)2014.2.3