呆れるほどに痛かった!『百円の恋』
どうも、今回の担当はケンです。今回はこんな映画待ってました!って映画を紹介したいと思います。
その映画は昨年末から公開され現在も東京を中心に公開されている『百円の恋』です!
この映画は周南「絆」映画祭・第1回松田優作賞という脚本賞のグランプリ作品で、そこから映画化された作品だそうです。また2014年のキネマ旬報ベストテンの8位にも選ばれています(このベストテンが発表される数週間前に公開されたにも関わらず)。
個人的に本当に大好きな映画で、まだ公開されているところもあるということなのでブログに取り上げることにしました!
この映画、タイトルの『百円の恋』だけ聞くと恋愛映画なのかなと思うかもしれませんが ” 前半はダメ人間のオンパレードでコメディの印象が強く、後半はなぜかガチのボクシング映画に変貌します。笑
何言ってるのかわからないと思いますが、見ればわかります。ダメ人間の本気が見れる映画。それが『百円の恋』です。
『百円の恋』あらすじ
30歳過ぎても実家に寄生し働かず文句ばかり垂れるダメ人間イチコ(安藤サクラ)。妹と大喧嘩し実家を飛び出し百円ショップの深夜営業にありつくが、そこは底辺人間たちの巣窟だった。そんなイチコの唯一の楽しみは帰り道のジムでストイックに練習をするボクサーの狩野(新井浩文)を覗き見すること。狩野のボクシングの試合を見たことでボクシングに興味を持ち、なんとなくボクシングを始めることになるが・・・。
予告編にもある通り、上のあらすじからイチコのボクシングの試合に向かって話が進んでいきます。この試合にイチコがどういう気持ちで挑むのかというのを映画で見ていただければなと思います。
そしてこの作品の魅力はなんといっても主演の安藤サクラ。安藤サクラの演技がこの映画を退屈なものにせず、最後の試合を最高に盛り上げてくれます。やはりこの試合がこの映画のクライマックスであり、安藤サクラの全力の演技に重い重い一撃をくらわされること間違いなしです。
ここからは、ダメ人間のイチコがなぜ後半にロッキー化しボクシングの試合に出場するのかについて書いていきたいと思います。
居場所をなくしたダメ人間
イチコは32歳になっても、ずっと家に篭っていたので家族以外と関わる機会がありませんでした。両親はそんなイチコをしっかりと叱ることができません。
つまりイチコの堕落に慣れた人間としか触れあっていなかったわけです。しかし、そんなイチコに現実を突き付けたのが離婚して実家に戻ってきた妹でした。
実家の弁当屋も手伝わず、作ってもらった料理を不味いと言い、歯医者に行くのも親にせかされる、そんな堕落しきったイチコを妹は認めませんでした。
妹と大喧嘩し、ついに親にも出ていくように言われたイチコは唯一の居場所をなくしました。そして実家に居られなくなったイチコは深夜の百円ショップで働くことになります。そこにはある意味、今のイチコの写し鏡のような、いやむしろイチコの未来の姿のような人間たちが集結していました。気を病んで放心状態になっている人、欲望を満たすためだけに動く人、自己中心的にしか動かない人、自分をあきらめている人、追い込まれ周囲に当たる人。
ただイチコはもとより自分はダメ人間だと諦めているので、”まあ自分を雇う職場なんてこんなもんでしょ”くらいにしか思っていません。しかし、この無気力・無関心なイチコが唯一興味を示したのが、百円ショップの常連で、ジムでストイックに練習をするボクサー狩野でした。
この映画の主題は「互いに認め合う」こと
イチコは狩野に試合のチケットを渡され、狩野のボクシングの試合を見に行きます。
そしてあるシーンに惹きつけられます。
それはラウンドが終わる時に選手が互いの肩をたたき、称え認め合う姿です。今まで死んだ魚の目をしていたイチコの目に光がさしました。
そしてイチコは気付くと吸い寄せられるようにジムの前に立っていました。ジムの会長に出会い、ボクシングのジムに通うになります。
イチコはボクシングをすることで、あの「互いに認め合い、他者により自分の存在を確かめる」ような境地に辿りつける気がしたのです。
始めたはいいものの、イチコはそこまでボクシングに身が入りません。
それは成り行きで同棲することになったボクサー狩野が家にいるからです。狩野が自分の部屋にいてくれるということを「認められている」「自分がいる意味」ということに勝手に置き換えているからです。
しかし、そんな狩野は早々と別の女に乗り換え逃げてしまうのです。イチコはついに「誰にも認められていない」「自分の居場所がない」ということに直面します。
ここから完全に安藤サクラ版『ロッキー』の始まりです。笑
イチコはジムに行き、死ぬ気でトレーニングに励み、会長に試合をさせてほしいと懇願します。イチコが憧れ、魅せられたあのステージへ、自分の居場所を求めて突き進む姿に思わず強く手を握ってしまいます。
どうせ百円程度の女。だけど、私を認めろ!!!
という叫びが聞こえてくるような試合。
相手に当てたのはたったの一発。しかし、会場に来ていた狩野や妹の表情を見れば、その一発で十分でした。
ボコボコにされたイチコは対戦相手に「ありがとう」といい、相手も笑顔でイチコの肩をたたきます。
イチコはついに互いに認め合い、自分の居る場所を確認したのです。
試合後、会場の外にいた狩野の前でイチコは号泣してしまいます。狩野はイチコを認め、一緒に歩いていくところで映画は終わります。
この作品はありのままの自分を受け止め、自分の存在をボクシングの試合にかけた。
そういう映画だったんじゃないかと僕は思います。
そしてエンディング曲である「百八円の恋」:(クリープハイプ)。
これがかなりガツンと心にきました。
もうすぐこの映画も終わる
こんな私のことは忘れてね
これから始まる毎日は
映画になんかならなくても
普通の毎日でいいから
あ、これ映画なんだなって。笑
そりゃ映画なんだけど。
この曲、イチコのことを歌ってるようで、見てる自分たちのことを歌ってるようにもとれると思うんですよ。
この映画を見てると、イチコのたくさんあるダメな部分を笑って、ある意味、神様目線で現実世界にいそうなイチコを応援すると思うんです。
それであのイチコが最後に一発当てた!良くやった!って感動するんですけど、
堕落しきった生活を送るイチコが一歩踏み出す姿はやはり映画だなと。
映画にすらならない自分がイチコを笑って、応援してたんだなって思うと、
とてつもなく重い一発をくらいます。
痛くて痛くてしょうがない。そんな映画。『百円の恋』おススメです。
ケン (@90matsu)2015.5.20