KSC CINEMA

男は黙ってモヒカン!

『オーロラの彼方へ』 - 映画ブログ第四回

第4回目の映画ブログ!

4回目のブログ担当します4番手のオガです。

ざっくり自己紹介させて頂くと映画は年間80本くらい今は観ます。学生のころは年間200本くらいでした。ただ、好きな監督や俳優はもちろんいるんですけど、そこらへんにはあんまり興味がなくて、映画を選ぶ基準はPVやジャケットが楽しそうかどうかです!

今までのブログで登場した映画の中だと「パーマネント野ばら」が一番好きです!笑

 

ブログでは直近で観た映画の感想を書いていこうと思います。

直近じゃないとすぐ忘れてしまうのでw

 

なので、取り上げた映画が私のおススメだと思わないで下さい!ただ紹介するだけです!観たことある映画だったら何か議論しましょう!

 

ブログの構成として、

①こんな人におすすめ(ネタばれなし)

②ざっくり概要(ふんわりネタばれ)

③オガの感想(がっつりネタばれ)

④似たような映画紹介

の段階で書きます。

最後まで読んでしまうとネタばればれなので観たことない映画は気を付けて下さい!

 

今回紹介する映画は「オーロラの彼方へ」(’01)です。

 

オーロラの彼方へ』(’01)

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こんな人におすすめ

・なんか感動したい人

・ハラハラしたい人

・映画は世界観が大切だ!の人

・70年代くらいのアメリカの雰囲気が好きな人

バタフライエフェクトとかシュタインズゲートとか系が好きな人

 

 

ざっくり概要 (ふんわりネタばれ

おはなし

息子(主人公)が死んでしまった父親と30年の時を超えてオーロラが出ているときだけ無線機で交信することができ、幼いころに死んでしまったはずの父と野球や彼女の話などをしながら物語が進んでいきます。家族愛とか父と息子の絆を描いた作品です。

 

一言でいうと、ちょっぴりアクションありでサスペンスな展開の感動的なヒューマンドラマといったところでしょうか。

 

スタッフ、キャストは

監督はグレゴリー・ホブリット、よく知りません。

主人公はジェームズ・カヴィーゼルで、「アウトランダー」の主人公です。「アウトランダー」は中世っぽい世界に宇宙からきた主人公がエイリアンっぽいのと戦う設定はすごく好きなんですど、映画としては微妙な感じ。「デジャブ」の悪役。

主人公の父はデニス・クエイド、みなさんご存じ「デイアフター・トゥモロー」の主人公です。

主人公の幼馴染はノア・エメリッヒで、この人も見たことある顔だと思います。最近だとアメリカのTVドラマの「ウォーキング・デッド」に出てました。嫌なやつでしたけど!「トゥルーマン・ショー」でも後から考えると嫌なやつで出てました!

 警察の人、アンドレ・ブラウアー。こいつも「ミスト」で嫌なやつでした!

 

嫌なやつばっかり!!笑 

この映画ではみんないいやつなので、ご安心を。

 

 

 

オガの感想 (がっつりネタばれ

これ以上見たらネタばれですからね。

 

でもストーリー紹介は面倒くさいのでしません!というかできません!

「そこは違うでしょ!」とか「たしかに!」みたいな感じで、感動を共有したいなと思います。よく一人で映画をみるんですけどやっぱり誰かと話したくて、楽しい映画を一人で観るより、もしかしたら、つまらん映画を誰かと共有する方が楽しいかもって思いますやん?笑

 

1999年を生きる息子が1969年を生きる死んだはずの父親と互いの世界で同時にオーロラが出ているときだけ無線機でやりとりをするという設定がとてもおしゃれで、舞台のちょっと前のアメリカっていう雰囲気もすごく楽しめました。

「1000年先のアメリカの学校でも教えることは、憲法とロックと野球だ!」っていうセリフとか、真っ赤なマスタングとか、革ジャンでアメリカンのバイクに乗ってる父さんとか、消防士の父さんとか、アメリカ映画臭が半端ない!

たぶんクレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲が実写で洋画だとこうなる。

 

しかもクライマックスではない場面でもいっぱい感動したシーンがありました。

序盤の初めて父と無線で繋がったときなんかは涙ぐんでしまいました。

最近落ち着いた映画が好きな私も大満足。

 

 

かと思いきや、この映画の感想は普通でした!!笑

 

 

邦画のお涙ちょうだい系の洋画版って感じがしました。感動の押し売り!?

 

息子の無線で死なずにすんだ父が、息子に襲いかかる殺人犯を撃退するところまではまぁよしとしましょう。もっと打つ手あったでしょと思っても、まぁよしとしましょう。

 

最後、

過去が変わったせいで、主人公に子供できたー! ってなりません?笑

それってハッピーなエンドなんだよなぁ??あ? ってなりません?笑

 

過去を変えると現在が変わるというよくあるやつなんですけど、過去が変わって新しくなった現在では5歳くらいの子供が主人公にいるというのは、家族の感動の話なのにちょっと冷めてしまいました。

過去が変わると新しい記憶ができて、古い記憶と新しい記憶の二つの記憶が同時に頭にあると主人公は言っていたので、ぽっとでてきた子供を育てている新しい記憶も主人公にはきっとあるのだと思いますが、ぽっとでてきた子供がかわいそうだなと。

近所のただの少年なのかもという疑いもあるけど、

そしたら、主人公 少年 父 並びの最後の感動の演出はおかしいでしょ!

 

この手の過去改変未来変更系の映画はつっこみどころ満載なので、そういうところには目をつぶって楽しむのが正解なのかもしれませんね。

実際過去を変えたらどうなるのかなんて分かりませんし!

 

雰囲気はとてもおしゃれで感動的で好きだけど、締めくくりが気に食わないということで、評価普通で!笑

 

 

似たような映画紹介

映画を観た後、好き映画だったら同じような映画を観たいとみなさん思うと思いますので、私が思う似たような映画を紹介してみます。

今回は似たような映画が少ないので微妙ですが、次回以降に真価を発揮すると思われます。 

 

バタフライエフェクト

過去を何回も変えて好きな人を助ける映画。

・デジャブ

ハラハラ感と映像では目の前にいるのに映像は過去だからこの手で救えないという感じが似ている。ちなみに今回の主人公のジム・カヴィーゼルが悪役で出てる。

・ルーパー

ブルース・ウィルス、ジョセフ・ゴードン・レヴィットがでてる。主人公は殺し屋で、依頼を受けた標的が未来から来た自分で、、、っていう話。全然似てない。

・タクシードライバー

1970年代のニューヨーク舞台。年代、舞台が一緒なだけ。全然似てない。あとこのブログのサブタイトル「男は黙ってモヒカン!」から最初にブログで紹介しようか迷った。それだけ。

 

 

ではこんなところで。

 

 

余談

ブログの内容が4つ中3つが時間系だったのは偶然です!

本当は直近で観た映画が「最強ゾンビハンター」だったんですけど、一発目でその紹介はやり過ぎかと思ったので、職場の人におススメを聞いてそれについて書いてみました。ぼろくそに言ったのでこのブログが見つからないことを祈ります。

「最強ゾンビハンター」はCGが安っぽいんですが、ゾンビ映画に必要な要素をかなり満たしている映画だと思います。一言でいうとマッドマックスのゾンビ版!かなり主観的ですけどゾンビ映画に必要な要素はまた今度解説します。

この映画の主人公が「stone cold silence」って何回も言うんですけどダサかっこいい。まさにゾンビ!これぞメタル!笑

 

あと、ダニー・トレホかっこいいwwwwwださいwwwww

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余談で一番テンションがあがってしまった。 

では次回8回目でお会いしましょう!オガでした!

 

2015年に見たい!SF映画2選!(『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、『トランセンデンス』)- 映画ブログ第三回

第三回の映画ブログ!

今回は、理系の大学院生トムが紹介いたします!

以下、ほぼネタバレ無しで紹介していきます。

 

突然ですが、2015年と言えば何の年でしょう?

...

...

...

そうです!実は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で描かれていた未来が2015年、つまり、今年なのです!

 

ロバート・ゼメキス監督作品のバック・トゥー・ザ・フューチャーシリーズは、PART1〜PART3の三部作です。

第二部のバック・トゥー・ザ・フューチャー PART2は、主人公の少年マーティ・マクフライマイケル・J・フォックス)が1985年から、30年後の世界、2015年へとタイムスリップする物語を描いた作品です。

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出典:http://en.wikipedia.org/

 

今から、30年前の人々は、2015年の未来をどの様に想い描いていたのでしょうか?

そして、現在2015年、彼らが描いた未来はどのくらい実現されているのでしょうか?

この作品を通して、彼らの描いていた未来と現実が垣間見えます。

(※PART1が1985年、PART2が1989年、PART3が1990年に公開されています。) 

 

作中に登場する乗り物ホバーボードは、空中浮遊できる夢のスケートボードです。

現在、実現されているのでしょうか?


BELIEF - YouTube

HUVr社(http://huvrtech.com/)が開発中のホバーボード。

めちゃめちゃ浮いてますwww

浮遊の原理は明らかにされていません。

しかし、残念ながら、この動画自体はフェイクの様です。

とはいえ、開発中の様なので、今後の展開に期待!

 


磁力で浮遊する「ホバーボード」を開発、米企業 Sci-fi 'hoverboard' becomes ...

HENDO社(http://hendohover.com/)が開発中のホバーボード。

さきほどよりは浮いてません...

が、原理も明らかにされており、実現されている様です!

磁力を使って浮遊しているとのことです。

大手クラウドファンディングKickstarterから、5分間の試乗権が100$で販売されていました(注:2015年1月13日現在、販売終了しています)

 

こうして見ると、先人達が30年前に映画の中で想い描いた世界が着実に実現されています。

では、30年後の世界はどうなるのでしょうか?

 

昨年(2014年)、今から30年後の2045年の世界を描いた作品『トランセンデンス』が公開されました。

人工知能の研究者ウィル・キャスター(ジョニー・デップ)がシンギュラリティ(技術的特異点を超え、人類そして世界が大きく変化していく様子を描いた作品です。 

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出典:http://eiga.com/

 

シンギュラリティとは、

未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す。

出典:http://ja.wikipedia.org/

 

ざっくり言うと、コンピュータ技術と生命科学の飛躍的な進歩によって、2045年以降には、人類が予測不可能な未来が訪れるということです。

 

 

シンギュラリティの研究者であるレイ・カーツワイル氏は、著書『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』の中でこんな未来を予測しています。

 

「脳をスキャンして理解する」よりももっと論議を呼ぶシナリオが、「脳をスキャンしてアップロードする」というものだ。人間の脳をアップロードするということは、脳の目立った特徴を全てスキャンして、それらを、十分に強力なコンピューティング基盤に再インスタンス化することである。このプロセスでは、その人の、人格、記憶、技能、歴史の全てが取り込まれる。  

脳を自由にコピペできる!?

 

アップロードされた誰かの他の人の感覚・感情に接続して、その人になったような体験をする娯楽が人気を集めるだろう。

アバター!?

 

ナノ医療が介入すると、最終的にはあらゆる生物学的老化を継続的に止めるだけでなく、現在の生物学的年齢から本人が希望する年齢へと若返れるようになる。

若返れる!?

 

まじでSFの世界ですねwww人間の定義が覆されそうな世界です。

ありえない様な話の連続ですが、本著を併せて読むと、映画の世界観への理解が深まりそうです。

 

30年前の人々は、どんな30年後の未来を想い描いたのでしょうか?

また、現在の人々は、どんな30年後の未来を想い描くのでしょうか?

是非、この2作品を通して、30年後の未来を妄想してみてください。

 

2015年、そして、2045年も良い年になりますように

 

映画ブログ第二回(吉田大八監督作品『桐島、部活やめるってよ』評)

明けましておめでとうございます。


映画ブログ第二回!
前回はリチャード・リンクレイター監督の「ビフォアシリーズ」でした!
『ビフォアサンセット』の最後のイーサンホークの表情最高ですよねー


映画ブログ第一回(リチャード・リンクレイター監督作品『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』評) - KSC CINEMA

 


今回は四人の中の二番手、ケンです。お願いします。

第二回で取り上げる映画は吉田大八監督の『桐島、部活やめるってよ』('12)です。

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題名だけは公開されたときから知っていて
公開後だんだん評価が高まっていくのを耳にしていたし、ロングランが決定したことも覚えているけれど、映画館に足を運ぶことはなかった作品。

見たこと無い人も一度は題名を聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

自分は結局、この作品が日本アカデミー賞で作品賞をとり、一般的な評価が固まったところでレンタルDVDを借りに行きました。

吉田大八監督の作品は友達に紹介されたり、たまたま借りたりして全部見ていて

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』('07)
クヒオ大佐』('09)
『パーマネント野ばら』('10)
(現在公開中の『紙の月』('14)も見ています。)

特に『パーマネント野ばら』には思い入れが深くて、ロケ地の高知がすごく良い雰囲気を出しています。今回取り上げた桐島も同じく高知がロケ地になっています。

実は一度目に見たときはあまりわからなかった作品だったのですが、二度目の鑑賞でそれぞれの人物の心情や、何が起こったのかをようやく掴めた感じがしてこの作品の魅力に取り付かれました。
何気ないシーンだと思って、気を抜いてみているとのちのち重要なシーンの伏線だったりするので、一回目の鑑賞では何が描かれているのか分からなくなるのかもしれません。

今回「桐島、部活やめるってよ」を取り上げようと思ったのはちょうど二週間前くらいに友達と話で盛り上がったからで。先輩や他の友達とも幾度となく話したのに、話すたびに新しい発見があるし、いろいろな人の捉え方を知るのが楽しい、そんな感じの作品で、気づいたらBlu-rayと文庫を買って、ブログを書くために一週間ずっと桐島漬けでした。『桐島、部活やめるってよ』の一つの捉え方だと思って読んでいただければいいと思います。以下ネタバレを含みます。

 

あらすじ
金曜日。新作の撮影に取りかかる映画部の前田と武文。放課後バスケをしながら桐島を待つ野球部幽霊部員の宏樹とその仲間たち。桐島、宏樹の彼女たちのグループ。宏樹に思いを寄せる吹奏楽部部長、沢島。桐島がキャプテンを務める男子バレー部のメンバー。それぞれがそれぞれの日常を送っている時、そのニュースは伝わる、「桐島、部活やめるってよ。」学校にかすかな変化が起き始める。

 

この金曜日のニュースが流れて、桐島に関係している人間の動揺が、桐島とは関係ない人物にまで影響を及ぼしはじめます。

 

まず、確認しておきたいことは、なぜ、桐島が部活をやめるからといって学校に影響が及ぶのか?ということです。
桐島はバレー部のキャプテンで、県選抜にも選出されるような人物です。さらに、桐島の彼女は学校の中では匹敵する人がいないほどの美人。部活の終わりにいっしょに塾に行くために待っていてくれる友達もいます。スクールカーストで例えれば、ピラミッドの頂点に立つ、学校最高位にいる人物です。

そんな桐島が県選抜にも選ばれていて、全国出場も夢ではないバレー部をやめるというニュースが流れれば、学校中の噂になるわけです。
さらに、桐島が部活をやめてから、一度も学校に来ないために、噂がどんどん広がり、様々な憶測を呼ぶことになります。学校にも来ない、電話にもでない、メールも返ってこないので、誰も確認することができないのです。

当然、このような立ち位置にいる桐島が急に部活をやめて学校に来なくなることで直接影響がでる人たちがいます。

桐島がキャプテンを務めるバレー部。塾にいっしょに行くために桐島を待つ友達グループ。桐島の彼女。

彼らにとって桐島は日常生活を送る上で欠かすことのできない重要な歯車のようなもので、桐島という存在が彼らの行動原理にもなっています。なので、桐島がいなくなると、彼らは今までとは違う生活を送らなければならないのです。

しかし、学校には様々な人がいるので、いかに桐島が学校最高位に君臨する人物だとしても、桐島とはまったく接点を持たずに学校生活を過ごしている人たちも当然います。

その非桐島関係者グループの代表格が映画部のメンバーです。桐島が部活をやめたからといって、彼らの今までの学校生活が変化することはありません。今までと同じように映画を撮り、教室の端のほうで映画秘宝を読みながら映画の話題で静かに盛り上がるのです。

 

様々な立場のグループや人物が登場する中で、物語のメインの人物は二人です。

 

【菊池宏樹(東出昌大)】:桐島関係者グループ

野球部幽霊部員。桐島の親友で、桐島と塾に行くために放課後バスケをしながら待っている。高身長イケメンで、スポーツ万能。沙奈(帰宅部)という彼女がいるが、吹奏楽部の沢島にもひそかに恋心をよせられている。野球部の練習には長いことでていないが、なぜか野球部の部活鞄で登校している。

 

【前田涼也(神木隆之介)】:非桐島関係者グループ

映画部部長。映画甲子園で一次予選を通過した作品のタイトルを全校集会で笑われる。低身長で眼鏡をかけてクラスではあまり目立たない存在。スポーツは全くできず、彼女もいない。密かに中学校からの同級生である東原かすみに好意を抱いている。現在は新作の『生徒会・オブ・ザ・デッド』というゾンビ映画の撮影に取り掛かっている。

このように、この二人は対照的な人物として描かれていて各グループの代表者という見方もできます。

 

 

じゃあ二人ともこの話の主人公なのかと言われるとそれは少し違うと思います。

映画のパッケージや主演としては神木隆之介が演じる前田が主人公なのですが、映画が誰の気持ちの揺らぎを追っているかというと、前田ではなく宏樹の気持ちの方を追っています。つまり宏樹の気持ちが主題となっていています。

 

そして、なぜ、彼(宏樹)の心は揺らぐのか。これが原作の核であり、この映画が表現しようとしているテーマになります。


宏樹は野球部の幽霊部員で練習にでていないので、学校での立ち位置は帰宅部でも部活動生でもなく、桐島の親友というポジションです。その桐島がいなくなったことで彼は自分の立ち位置を否応なしに考えさせられることになります。

そして、今まで何となく流していたことが全て宏樹に疑問を投げかけてきます。

宏樹の彼女である沙奈は彼にかまってもらいたくてしかたがありません。沙奈は宏樹の彼女という立ち位置、学校での自分の居場所を守るために必死な子です。今までは何とも思っていなかったのに、桐島がいなくなってから沙奈の姿が自分の立ち位置を見ているようで、彼女と今まで通りに接することができません。

野球部のキャプテンは宏樹に会うたびに、声をかけてくれ、練習試合に誘ってくれていました。今までは自分の実力を買って誘ってくれていると思っていたけれど、キャプテンが夜遅くまで素振りをしているのを見て、これだけ野球に一生懸命取り組んでいる人が本当に自分に出場してほしいと思っているわけがない、いまだに野球部の鞄で学校に来ている自分のことを気遣って言ってくれていたんだということに気付くのです。宏樹は素振りを終えて帰ろうとするキャプテンから隠れてしまいます。

 

金曜の「桐島、部活やめるってよ」を発端に、宏樹は今まで表面化していなかった問題にさらされます。しかし、彼はその問題にうまく向き合うことができません。

そして火曜日に桐島(らしき人物)が屋上に表れたことで、彼は自分の立ち位置が揺らいだ原因と向き合わなくてはならなくなります。

 

火曜の放課後、桐島関係者グループは「桐島が屋上にいた」という情報を得て、桐島を追って屋上に集結します。

しかし、そこには桐島の姿はなく、ゾンビ映画を撮影している映画部がいるだけでした。桐島側は桐島がいないショックで、映画の撮影などお構いなしにふるまいます。そして映画の小道具を壊したことをきっかけに、映画部前田が反旗を翻し、ゾンビになった映画部が桐島関係者グループを襲い始めるのです。

実際にはすぐに鎮圧されてしまうのですが、この反逆によって桐島騒動に区切りがつき、桐島に踊らされた桐島関係者グループは日常の生活に戻っていきます。

普段気にも留めない前田にあれだけ桐島関係者グループが食って掛かったのは、前田に、桐島に踊らされている馬鹿らしさを指摘されたからでしょう。

その指摘は桐島関係者にとって図星でした。宏樹だけじゃなく、多くの桐島関係者が桐島に居場所を求めてきたからです。

 

宏樹は屋上に来るまで桐島に会うことで何か自分が感じている違和感やもやもやの原因が見つかるのではないかと思っていました。
肝心の桐島は屋上にはおらず茫然としてしまうのですが、おそらく桐島がいても答えは見つからなかったでしょう。

桐島に答えを求めても、この問題は解決されないからです。

しかし、屋上で映画の撮影に真剣に取り組む映画部前田の姿に、宏樹は彼なりの答えを見つけました。

 

前田は宏樹とは対照的な人物として描かれています。クラスの隅っこで、同じ映画部の武文と映画の雑誌を見たり、授業中に次回作のカット割りを考えたり、彼は桐島が部活をやめたからといって、何かが変わることはありません。体育の時間で活躍してスターになれなくても、放課後に女の子グループに笑われても、前田はいい映画を作るために一生懸命試行錯誤するだけなのです。

 

そんな前田に宏樹が見出した答えは、

前田にとっての映画のように、自分には一生懸命に取り組むことができる何かを持っていない。

ということでした。

桐島がいなくなってからずっと逃げていた宏樹は初めて自分が感じている違和感やもやもやと向き合います。

そして屋上に落ちていた8mmフィルムカメラのレンズフードを拾って、前田に声をかけるのです。

宏樹は前田が持っていた8mmフィルムカメラを手に、インタビューをします。

宏樹「将来は映画監督ですか?」

前田「うーん、どうかなあ」

宏樹「女優と結婚ですか?」

前田「ええっ?いやあーうーん..」

宏樹「アカデミー賞ですか?」

 

前田「...うん..でもそれはないかな。映画監督は無理」

 

宏樹は呆然としてしまいます。

彼と対峙することで、自分が見つけた答えを確かめることができると思っていたのに、これだけ映画に打ち込んで、夢に突き進んでいるようにみえた前田でさえも、その夢を否定してしまうのかと。

宏樹はどうして映画を撮っているのか尋ねます。

前田は、俺たちが好きな映画と今自分たちが撮ってる映画がつながってるなって思う時があって、と答えます。

宏樹は前田の言葉を受け止めきれません。
宏樹は自分と前田の“距離”を理解したと思っていました。しかし、現実は前田からもっと遠い位置に自分がいることを知ったのです。

最初は

好きなことを見つけてその夢を追いかけることができるグループ。
好きなことが見つからないグループ。

この二つに分かれていたと思っていたのに、さらにもう一つあったことに気付きます。

好きなことを見つけて、その夢までの距離を理解したグループ。
好きなことを見つけたグループ。
好きなことが見つからないグループ。

そして宏樹は好きなことが見つからないグループ、前田は好きなことを見つけて、その夢までの距離を理解したグループにいたのだと気付いたのです。

前田は8mmフィルムカメラを宏樹に向け、「やっぱりかっこいいね」とつぶやきます。

宏樹は今まで溜め込んでいた名前を付けられない感情がこみ上げてきます。
前田の何気ない言葉が彼を締め付けます。

彼には、自分はかっこいいだけで、中身のない空っぽの存在だと言われている気がしてしまうからです。

 

 宏樹は耐えられず、屋上から出て、また逃げてしまいます。そして現実から逃避するために桐島に電話をかけます。

しかし、携帯のコールがなり続ける中、宏樹は目の前で練習を続ける野球部の姿から目が離せません。そして電話をかけていることを忘れたかのようにグラウンドに釘付けになる宏樹の背中が映されたまま、映画は終わります。

 

この映画は普通の映画とは違って、暗転せずに、明転して(白い画面になって)映画が終わります。
明転の意味はおそらく宏樹は現実を受け入れることができたということでしょう。宏樹は桐島に居場所を求めず、今の自分を直視することができたはずです。

 

この映画は前田と宏樹の邂逅の瞬間に向かって進み、見事に宏樹の心の揺れを捉えました。

しかし、原作にはゾンビは出現しないし、屋上のシーンも存在しません、さらに言えば桐島が学校に来るという噂すら流れません。

では、なぜ吉田大八監督がゾンビを出現させる必要があったのか?これについて最後に書いていきたいと思います。

 

この作品では映画部が出てくることもあって、様々な映画が引用され
映画部の前田涼也(神木隆之介)と武文(前野朋哉)、前田と同じ中学校だった東原かすみ(橋本愛)によって語られています。

前田とかすみが偶然、映画館で出会った『鉄男』や
ザ・フライ』『エイリアン』『ボディスナッチャーズ』『遊星からの物体X』『スクリーム3』(2の方がよかった by 武文)『ダイアリー・オブ・ザ・デッド

(原作では『ジョゼと虎と魚たち』『チルソクの夏』『メゾン・ド・ヒミコ』『リリィシュシュのすべて』『ニライカナイからの手紙』『サマータイムマシンブルース』などなど。扱われている作品が原作と映画とで全く違う。でもこの変更は無くてはならなかった!)

そして
顧問が言う半径1メートルの現実的な青春映画を撮るか、
前田や武文にとって現実的なゾンビ映画を撮るか、
というシーンで出てきたジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』('68)。

 

この会話の中ででてきたジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、これこそが屋上にゾンビを出現させることになった原因であり、原作の重要な核を演出するために吉田大八監督が導入した必要不可欠な要素なのです。

この作品の主な流れは以下の通り

①ゾンビ出現!
②一軒家に逃げ込む黒人1人、白人6人。ゾンビは全世界に出没している模様。
③黒人が主導権を握って避難所への脱出を試みる
④失敗してゾンビが家に侵入、白人は全員死亡
⑤人間側が盛り返し、政府によりゾンビ討伐隊が結成される
⑥唯一生き延びていた黒人は白人によって構成される討伐隊によって人間かどうか確認もされずに撃ち殺される。

この作品について監督が意図を話しているかどうかは分かりませんが、
見る側が最後のシーンの意味を考える時に、少なくともこの時代のアメリカの大統領は黒人じゃないなと考えてしまいます。
60年代どころか、それから50年経った現代でもこの作品のラストから想起される事件や差別は起こっていて、日本では昨年の二月に公開された『フルートベール駅で』でも無抵抗の黒人青年が白人警官によって撃ち殺された事件が扱われています。
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はゾンビの出現という混乱によって、強者側である白人と弱者側である黒人が同じラインに立ちます。むしろ白人が頼りなく描写され、黒人がリーダーシップをとっている。しかし討伐隊が結成され、世界が日常に戻り始めると、黒人は簡単に殺されてしまう。ラストシーンは強烈にこの世界の現状を焼き付けさせます。

 

桐島では、最終日である火曜日が『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の流れを組んでいます。

 

①桐島らしき人物が屋上に出現
②屋上に駆け込む桐島関係者&『生徒会・オブ・ザ・デッド』の撮影でもともといた映画部
③映画部前田が反旗を翻し、強者側に楯突く
④映像の中でゾンビが屋上の人間を襲い全員死亡
⑤でも実際はそんなに世の中は甘くなく、ゾンビは簡単に制圧されてしまう
⑥宏樹は前田の姿に感化され8mmフィルムカメラのレンズフードを前田に渡し、前田と初めて会話をするが、自分の現状と向き合うことになる。 

 

このように『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の流れを追いかけることで、宏樹が自分の現状と向き合わなければならなくなっているのです。

吉田大八監督はこの作品に、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を組み込むことで、宏樹が自分と向き合う瞬間を実現しました。そして、そこで終わらずにその先の、”現実を突きつけられた人間がその現実にどう対応するのか”までを描ききりました。

現代の高校生の一つの視点では語れない現状を描いた素晴らしい作品だと思います。

一度映画を見れば、『桐島』の話で3時間は語れると思うので是非見てみてください~

 

最後に小話

前田のつけている眼鏡と武文の福耳は「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の監督ジョージ・A・ロメロと同じ特徴になっています。映画部二人合わせてジョージ・A・ロメロを表しているんですね。吉田大八監督恐るべし。

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(神木君、全く似てません。すみません。)




最後まで、読んでいただきありがとうございました。
それでは、また!

ケン(@90matsu) 2015/1/6

映画ブログ第一回(リチャード・リンクレイター監督作品『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』評)

 はじめまして、これから映画についての文章を4人で、週交代で1本ずつ書いてみようということになりました。その第1回目を務めるミヤです。よろしくお願いします。

 計算の上では、これから映画についての文章が年間約50本ならびます。5年続けば250本、50年続けば2500本の映画についての文章が揃うことになります。もっと人が増えてたくさん集まるようになるのも良いですね。

 でもまあ、いつまで続くでしょう…(笑)しかも4人で。もしかしたらすぐに僕が抜けて来年の今頃には3人になっているかもしれません。

 

 さあ、そんな映画ブログの記念すべき第一回目…何を書くべきでしょうか。

 あとから読み返して、ああ恥ずかしいと思うのか、それともあの頃に戻りたいとか思うのか…。誰の、どの作品について書けば良いのか…。

 

 そんなことを考えていて、何の映画について書こうか、なかなか決まりませんでしたが、実はちょうど今ある映画を観終わったところで、この映画について書こうと決めました。この映画が終わる10分程前に、自然と文章を書き始めていたからです。その時僕は、”人間とは、「今」が「過去」になっていくことを認識している動物なんだ”という言葉が浮びました。

 

 僕が観た映画はリチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ』(1995)です。ちなみにここからはネタバレを含みます。

 

 この映画は、今夜しか会えないことが分かっているアメリカ人学生ジェシーと女学生セリーヌの二人が、恋に落ちるお話です。

 ここに出てくる二人は、お互いに惹かれ合っている「今」が、「過去」になってしまうことを理解しています。理解しているがゆえに、その「今」の扱い方が分からなくなってしまう二人なのです。「今」肉体関係を持ったら、それが「過去」になった時に辛く思い出されるものになってしまうのではないか、セリーヌのそんな心の揺れや、ジェシーが、2人が惹かれあっている「今」を永遠に取っておきたいと話す場面、写真にとっておきたい、という台詞などなど。「今」を愛おしく思えば思うほど、「今」が「過去」になってしまうことが恐ろしく感じられてしまい、愛おしいはずの「今」をどう振る舞えば良いのかが分からなくなってしまう、そんな2人のお話です。でもまあ結局、それこそ夢のような一夜を過ごして二人は別れます。ここでこの映画は終わります。

 この「夢」の行方は、続編で描かれます。この作品の9年後の2004年に、作品の中でも9年が経った後の二人が再会を果たす続編『ビフォア・サンセット』(2004)が公開されます。そしてさらに9年後には、やはり作品の中でも9年が経っていて事実婚して、双子の子どもまでいる二人の夫婦喧嘩を描いた『ビフォア・ミッドナイト』(2013)が公開されました。(あらすじは、このブログが詳しいかもです。)この3作を第1回ブログで取り上げる作品にしたいと思います。

 

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 ちなみにこの『ビフォア・サンライズ』は「劇場公開からビデオ発売までの邦題は『恋人までの距離(ディスタンス)』だったが、『ビフォア・サンセット』が公開されると、それまで発売されていなかったDVDのリリースが決定し、新しいタイトルとして『ビフォア・サンライズ~』に改題された」(恋人までの距離 - Wikipedia)そうです。当初はシリーズ化する予定はなかったんですね。

 

 この3つのビフォアシリーズ。魅力は何と言っても2人の会話です。むしろこれらの作品は2人の会話しか中身がほとんどないといっても過言ではありません。そして会話がどこへむかっているのか、先の展開がわからない、という点でアクション映画やミステリー映画、サスペンス映画よりも本当にスリルがあります。長回しで二人の会話をずーっと撮るという手法もそのスリルを引き立てているし、さらに現実世界の会話(当然これには複数のショットもないし全部1テイクなわけです。)そのものを見せられているかのように思えるという演出になっています。 もちろん二人の会話は、自然に見えるといってもよく計算されたものになっていて(これは宇多丸さんの「ムービーウォッチメン『ビフォア・ミッドナイト』評」に詳しいです)、僕がとても気にいっているシーンで言えば、例えば一作目『ビフォア・サンライズ』で「タイムマシーンに乗って未来から来たとして、今日のことをやりなおせれば…」って思っていると思って付いてきなよ、みたいなことを言ってジェシーセリーヌを電車から連れ出します。そして三作目『ビフォア・ミッドナイト』で喧嘩から仲直りするシーン。ここでもジェシーは、82歳になったセリーヌからの手紙を持ったタイムトラベラーのジェシーを演じながら、説得にかかります。

 こんなふうに台詞が本当にしっかり構築されていて、さらにその台詞ひとつひとつが「時間と変化」という作品のテーマを一貫して語り続けている、そんな素晴らしい作品なわけです。

 

 思えばリンクレイター監督の撮る映画には、「今」を永遠にとっておきたいと思ってしまう人間や、一歩進んで「今」を愛おしく思ってしまうがゆえに「未来」をある種諦めている人間が常に登場します。最新作『6才のボクが、大人になるまで。』(2014)の主人公も、写真にハマります。『バッド・チューニング』(1993)でもラストシーンで、夜通しマリファナで遊ぶ少年たちは、「この日々を振り返ったとき言いたいことは…精一杯やったさ」くらいのものだったと既に自覚しています。

 このビフォアシリーズでも、ブログ冒頭でジェシーセリーヌが惹かれあう由に、それが「過去」になっていってしまうことへの恐怖が描かれていると書きましたが、その他の監督作品と同様に、「今は素晴らしい、けどずっと続くものじゃないことが分かってしまっている」という「冷め」が、根底に描かれています。でも僕は、監督がその「冷め」をはっきりと描いて、各作品で「人生なんて上手くいかないものだよ」っていうメッセージを発しているわけではないと思うし、このビフォアシリーズもそうだと思います。そしてそこがこの映画の好きところなんです。では、このビフォアシリーズ3部作(まだまだ続きがあるかもしれませんが…)、この映画から僕が感じたことを書いていきたいと思います。

 僕は、最初にこのビフォアシリーズを観終わった時に、THE BLUE HEARTSの「年をとろう」という曲を思い出しました。


年をとろう - YouTube

 

 「過ぎて行った時が まるで永遠に続く土曜日の夜ならば 今日は何曜日なのだろう」

 

 ロックに打ちのめされて、興奮して、情熱を滾せて、世界を変える夢をみた、そんな日々が「永遠に続く土曜日の夜」のように最高の日々だったように思えてきてしまった。じゃあ「今」は一体「何曜日なのだろう」?無限の可能性や夢を見れた「土曜日の夜」が、それ自体が最高にロックだった、そしてそんな若かった日々はもう過ぎてしまった。(作詞作曲のマーシーはこの時31歳)全くの拡大解釈かもしれませんが、そんな諦めがこの歌には描かれているんだ、と僕は思うんです。

 

 でも歌詞のつづきに、こうあります。

 

 「過ぎて行った時が 夢まで連れていったら それは悪いことじゃない もっと強い夢が見れる」「年をとろう」「俺のシッポにまた火がついた」

 

 最高の日々は終わってしまった。もう老いていくしかない。憧れたロックは若者のものだから、もう自分は全然ロックじゃない。でも、そんな「夢」のような日々があったからこそ、「もっと強い夢が見れる」気がするじゃないか!「年をと」るのも悪くない。「シッポにまた火がつい」てきた!と、この歌には、そんな諦めと情熱の二つが歌われているんだと思うんです。

 

 リンクレイター監督も、現在のところの最終作『ビフォア・ミッドナイト』では、さっきシーンを挙げたように、「未来」のセリーヌの言葉で、ジェシーセリーヌを説得する結末を用意しています。一番夢に見ていたお互いを、紆余曲折経た末に選んだにも関わらず、夫婦関係は上手くいきません。恋に落ちて、「未来」を夢みることができた出会いたての『ビフォア・サンライズ』のころが、どう見ても二人の最高の時でした。でも、最後のシーン、ジェシーはその「夢」を一緒に見たのは「僕なんだよ」と言うんです。そして、それでも「これからが人生の黄金期」と振り返ることができるそんな「未来」が用意されているよ、という設定の寸劇をジェシーはするのです。そして、セリーヌはバカ女の役でその寸劇に乗るのです。大半の未来なんてしょうもない、そんなこと分かりきっているのに、それでも未来を信じる劇に興じるのが人間だ、このラストシーンを見てそんなことを感じます。そして、それってそんなに悪くないんじゃない?というような気がする映画なのです。悪くいえばそこまで含めて「冷め」ているようにも感じることもできるわけなのですが。なんてたってTHE BLUE HEARTSの「シッポにまた火がついた」ように、セリーヌが「最高の夜になりそうね」と言って終わるんですから悪くないはずです。

 2人の会話は、お互いが予想もしてなかったことを言ったりします。そのひとつひとつに、生き生きとした反応が描かれています。人生なんて大したものではないかもしれない、でも一瞬一瞬、予想だにせぬことが起きるし、そんなに退屈なものでもないでしょうと、この映画を観ると、やっぱりそんな風な気持ちになれるのです。人と生きる人間の、可愛らしさがたくさん詰まった傑作だと思います。

 

 さて、つらつらと書いてきましたが、『ビフォア・サンライズ』が終わる10分前に「書きたい」と思ったことと、今ここに「書いた」ものは一致しているのでしょうか。映画を観ていた「今」は、もう「過去」になってしまったので確認することはできません。なんかズレていってしまったような気もします。「あぁ、このシーンは、この台詞は、一生大切にしたい」そんなことを思っても、その翌日に忘れてしまっていることの方が正直多いです。結局そんなようなものなのでしょう。それでも、映画を観た瞬間に受けた感動を「永遠にとっておきたい」と、4週間に1度でもそう思えれば、このブログは記事が溢れて続いてゆくのではないでしょうか。そしてそうやって続いていくことができれば、それは大したものにはならないかもしれませんが、予期せぬ映画との出会いがあったりして決して退屈なものではないのではないでしょうか。

 どうでしょう、映画ブログ第1回としてとても良いオチがついたのではないでしょうか。では4人の映画談義のはじまりはじまり〜。また来週!